何気ない日記

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無根拠に縛り付けたがる校則に疑問符を


厳しい校則で子どもたちを縛り付ける管理教育を、私はどうかと思います。


私はまさにその管理教育を受けてきました。
それはそれは徹底した管理教育でした。


体育館で行われる全校集会の際は、
登壇者が登壇したら、体ごと向きを変え、背筋を伸ばし、礼をする。
居眠りをしようものなら、体育館から引きずり出され、外に締め出される。
宿題忘れを頻発したら、机ごと廊下に出され、
窓を開けて授業を受ける。
などなど、とても校則の厳しい学校だった。

まだまだ驚異の管理教育エピソードはたくさんあります。
他の地域の友達に話すと、ドン引きされます。



当時、素直で純粋な私はその校則に疑問を感じることなく、素直に従っていました。

でも一方で、校則に反発した行動をとる友達も多数いました。



私は、
大人になってから、あの管理教育に疑問を感じるようになりました。
「あれにはどんな意味があったんだろう」
と。



校則がある意味を考えてみます。
おそらく、大きな1つの意味は、
社会の理不尽への耐性を作るものです。

あとは、安全の確保、、くらいでしょうか。

でも、それに根拠は見つかりません。


やっぱり、校則とは、
『偉い何者かにとって都合の良いルールを、
根拠に抗うことなく従順に従う癖をつける練習』なんでしょう。


たぶんそんなことを植え付けられて来てるんです。
少なくとも私とその周りは。


卒業後、
パーンと弾けた子たちをたくさん知っています。
今まで押さえつけられていた反動なんじゃないかな。


当時は、
世間知らずで従順にルールに従ってきた私も、
最近になって、理不尽なルールに疑問を感じ始めました。


考えていくと、当たり前って何なんだ?というところにたどり着きます。

今ある当たり前って、
今までの誰か偉い人が作ってきたものだし、
当たり前なんてそもそもないんだって、
そう思います。

今まで、
当たり前だと思っていた意味のわからないルールを守ってきたことがバカバカしくなってきました。

日本には当たり前に、
高校へ行き、大学へ行き、就職をするって流れがありますが、
これって当たり前何でしょうか?(ルールではないけど)

スーツを着なければ無礼だって誰が決めたのでしょうか?

世の中の当たり前だと言われていることを考えると、案外謎だったりして。

遅れてきた反抗期なのかもしれないけど、
世の中に疑問を持つことって大切な気がします。

これは早ければ早いほど良い。
世の中に疑問を持って、早々に自らの道を切り開いている人の方が成功をおさめている気がします。

私は自分の意見を持つのが遅すぎました。
いい子でいないとっていう気持ちが大きかったから。
大人って何でも正しいと思っていたから。
怒られるのが怖かったから。


今の私は、自分の思う方向に走りたい!
走らないと!っていう止まらない気持ちなので、
気がついたらどこかに行っているでしょう。

さて、どこに行くのでしょう。



ご覧いただきありがとうございます。

いろいろやってまして、好奇心旺盛な性格なので、いろいろ情報交換できたら嬉しいです。

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photo▶︎すっごく古いエレベーター
扉開くのは遅いし、今にも止まりそうな音がなるし、超スリリングなエレベーターでした。